February 23, 2004

精神の発見

 アラン「実物教育」からの引用。

ソクラテスは、周囲から探し出して、マント持ちをしていた奴隷の子どもを幾何学の弟子に選んだ。俊秀のアルキビアデスはなにも口を挿めなかったが、おそらく一日中、口には出せないつぎのような想いを反芻したに違いない。たぶん教僕のほうがしっかりしているに違いない。教僕なら、平等性の秘密は主人になるような者たちにしか教えないと心に誓っているはずだ、と。

 『メノン』の中でソクラテスは奴隷の子どもを相手に、ただ問うことによってのみ、幾何学の知識を教える。しかしそれは子ども自身の精神の発見にもなっている。精神、そこにおいてこそ人は平等である。
 だが、アルキビアデス、優秀でありながら、ソクラテスの傍らにいながら、あなたは何をしていたのか? 自らが精神であることをあなたもソクラテスに教わらなかったのか。
 おそらくアランは上のような問いを抱えていたはずだ。それに対する答えが引用の中にある。主人であることの意識。

cf. アラン(山崎庸一郎訳)『プロポ2』(みすず書房、2003年)、p. 246.

投稿者 Vapor Trail : February 23, 2004 11:07 PM