February 28, 2005

スパム [Essay]

 コメントスパムの次にはトラックバックスパム。多くの人に読まれているとは言い難いこのサイトだから放っておいてもよいのかもしれない。しかしあまり気分が良くないので、トラックバックも受け付けないようにした。
 そうだとするとウェブログとはいったい何だろう、という問いが生じてくる。というのもこの形式が出現したとき多くの人に歓迎されたのは、コメントとトラックバックという二つの機能があったからだと思われるからである。
 少し考えてみる必要があるようだ。

投稿者 Vapor Trail : 12:31 AM

January 19, 2005

読み返す [Book]

 書かれた文字は固定している。こちらの問いかけに答えてくれない。これがプラトンの不満だった。だが、プラトンほどの精神ならともかく、私のようなものには何度か読み返すことによっていろいろと発見がある。読んでも気付かないことがある。気付いても忘れてしまうことも多い。こちらの読み方が変わることだってある。だから読み返すことによって「新しくなる」のだろう。
 『夏目漱石全集2』(ちくま文庫、1987年)をおもしろく読んだ。収録作品のほとんどは別の本で読んだことがあるのに、やはりほとんど忘れていた。とはいえ読み方が変わったのかもしれない、と読みながら感じた時もあった。どのように? 文学学者のように読んだわけでもない。作家のように読んだわけでもない。どうもうまく言えないのだが、夢中になっていながら、しかしどこかしら突き放して読んでいたようだ。「体験」が増したから突き放して読めるようになったのだろうか。それならば馬齢を重ねたというだけのことなのだが。

投稿者 Vapor Trail : 10:39 PM

January 01, 2005

新年 [Essay]

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 新年に際して何か新しいことをしようと思うのは、よくあることである。ただその新しいことが今までのものすべてを切り捨てるようなものであったならば、あまりうまくはいかないだろう。既に私は何者かであるのだから、それを生かすのがよいのだ。アランが言ったように、行動の指針の第一章は「続けること」なのだから。

投稿者 Vapor Trail : 10:49 AM

December 30, 2004

『プルターク英雄伝(三)』「ペリクレース」より [Quote]

徳のある人の振る舞いは、他所の人々に感嘆されるというよりは、寧ろその日常生活が親しい人々に感嘆されるものなのである。
 似たようなことはプラトンも語っている。人々が羨む僭主の日常生活をよく知る人こそ、僭主の幸不幸を知ることができると。  人は他人の評判を気にし、社会的評価を求める。それらは強い酒なのだろうか。人を酔わせ、判断力を失わせる。しかし立派に見えるからといって本当に立派であるとは限らない。立派であると判断できるのは、そういった強い酒を飲んでも酔わない人なのだろう。そして酔わないことそのものは立派さの徴である。 続きを読む "『プルターク英雄伝(三)』「ペリクレース」より"
投稿者 Vapor Trail : 05:45 PM

November 06, 2004

働きのある人とは [Quote]

 『吾輩は猫である』(ちくま文庫判全集第1巻、p. 427)より引用。朝食時、子供たちが騒いでいるのに主人の苦沙弥が何も言わずに、ただひたすら自分の食事を済ませているのを、「働きのない事だ」と言ったあとにこうある。

しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の目玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。・・・これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。
実践的生よりも観想的生の方が望ましいというヨーロッパに伝統的な考え方を漱石は知っていたのだろうか。『猫』に描かれる苦沙弥、迷亭や寒月らの会話から伺われる彼の知識からすると知っていたとしても不思議ではない。
 この考えは日本では受け入れられたことはなかろう。日本が主人と仰ぐアメリカにあるかどうかは知らない。しかしアメリカのしてきたことを考えれば、答えは自ずから出てくるようである。

投稿者 Vapor Trail : 07:18 AM