February 11, 2004

意志的行為?

 行動を規定するもの、あるいは導くもの。それは実はとてもつまらないものでありうる。「ふらふらと」「つい」「何となく」、これらの言葉を口にしかなった者があろうか。
 ラスコーリニコフは殺人の妄想から救われたと思った直後に、金貸しの婆さんのところに翌日はリザ・ヴェーダがいないことを往来で耳にした。その後は人形、操り人形のように犯行に及ぶ。これは果たして人間の行為であろうか。
 犯行後のラスコーリニコフは人形ではない。犯行現場からいかにして立ち去るべきか、凶器をどうするか、奪った金は? こういった問題をラスコーリニコフはテキパキとは言えないし、いわんや適切にとは言えないにしても、「人間的に」行う。彼は自分が何をしているか意識しており、意識していることを意識している。意識の意識とは決して病的なことではない。よくあることだ。たとえ「理性的」ではないにしても。
 なぜラスコーリニコフは操り人形となってしまったのか。悪魔、と昔の人々なら考えたであろう。だが、そういうものを否定するのがならいとなっている現代では、どのように語りうるのだろうか。

投稿者 Vapor Trail : February 11, 2004 09:11 PM