February 09, 2004

オックスフォード

 週末に熱を出し、寝ていた。風邪で寝込んでいたときに、プルタルコスの『英雄列伝』を読破したのは小林秀雄だったか。小林自身がそのことをエッセイに書いている。それに倣おうとしたのだが、同時に、結膜炎にもなり、余り目を使うことができず、新しい本も読めなかった。それで熱を出す前に読んだばかりの本を、もう一度パラパラとめくっていた。
 その本は、小川百合『英国オックスフォードで学ということ』(講談社、2004年)。奨学金を得て、オックスフォードのニュー・カレッジに一年間、準客員研究員(Visiting Research Associate)の資格で所属し、学んだ女性画家による、体験を基にした良質のエッセーである。著者は、なぜ絵を描くのか、絵とは何か、という画家にとって根本的な、そしてさらに画家のみならずすべての人にとっても根本的な問いである「人間とは何か」という究極的な問いを抱えて、オックスフォードで暮らし始める。直接的な目的は、図書館を描くこと。しかし、上のような問いを抱えている著者は、美術はもちろん、音楽、文学、さらには哲学に至るまで様々な講義を貪るように聴く。そこで出会う魅力的な人々(教師や学生だけではない)、知識を伝達するのではなく学問の方法を学生に伝えようとする大学教育(ただし、知識は学生が自分で獲得していることが前提となっていることを銘記すべき)、一見がんじがらめの、しかし柔軟に適用される規則、そして何よりも落ち着いた静けさの中に流れるゆったりとした時間。こういったものが、著者の絵画や映画の知識が織り交ぜられながら、述べられている。
 副題の「今もなお豊かに時が積もる街」に名乗りを上げることのできる街が日本にはどれくらいあるのだろうか。それが実は「民度」の尺度になりはしないか。

投稿者 Vapor Trail : February 9, 2004 10:25 PM