January 13, 2004

引用の現すもの

 書店を覗いたら、トルストイの翻訳で、彼が作成した様々な書物からの引用集の文庫本があった。書名などは忘れたが、パラパラと見た感じでは、毎日、相当数の引用が書きつけられていた。引用だけからなる書にどれほどの価値があるのだろうか。トルストイだからこそ、文庫本として翻訳・出版される、ということなのだろう。そう考える人もいるかもしれない。しかし、引用には引用した人の感性や思想、なかんずく力量が如実に現れる。引用を自分の小説に多用する大江健三郎が、小林秀雄の『本居宣長』の引用文が見事だと言っていたことからもそのことがわかる。
 私の見るところ、最高の引用はトマス・アクィナスの手になる『黄金の鎖』と呼ばれる書である。これはトマスが古の教父たちの著作から自由自在に引用し、それらを適切に組み合わせ、編集し、一冊の福音書の註解書としたものである。この書に現れるトマスの神学者としての力量は計り知れない。博学に基づく引用とそれらを美しく織り上げる能力、どちらかが欠けても、このような書が成立しないのは明らかである。さらに明らかなのは、そのどちらかを身につけることすら凡人には難しいということである。
 『黄金の鎖』は、書を読み、古今東西の優れた思想に学びながら、自らの思索を重ねようとする者にとって、北極星のようなものだ。到達することはできない。しかし目指すことはできる。そして何よりもそのような者にとっての道標となっている。

投稿者 Vapor Trail : January 13, 2004 11:21 PM