January 11, 2004

自己を定義する

 森有正のエッセイ「ルオーについて」を読む。
 このエッセイを導いているのは、アランの「自己に対する自己の対立」、あるいは「自己を定義する」という言葉だ。森はこのことをわれわれ日本人が学ぶべき、フランス文明の質のよさを現すものとして、書いている。森が言うように、「自己を定義する」というのは、不断の労働を通じて自己のうちに秩序を作ることであり、自己に対する闘いに他ならない。
 だが、と人は言うかもしれない。森は書いていないが、アランの言葉に「詩人は詩を作り、怠け者は眠る」という言葉がある。とすると、自己を定義するためには不断の労働や自己との闘いを必要としないということになりはしないか。あるいはアランは矛盾したことを言っているのか。
 おそらくそうではない。怠け者は何もしないことを選択することによって、自己を怠け者として作り上げてしまったのだ。ただしこの場合の秩序とは無関係である。それゆえこれは「自己が定義される」と言うべきかもしれない。何によってか。外的条件や、欲望、怠惰、などによってである。それらに抵抗しないで流されることによってである。
 定義されてしまった人は、自由を失った人である。対処することしかできないのだから。うまく対処したとき、その人は自分の力を感じるだろう。だがそれは自由という力ではない。なぜなら、自由とは自己を定義する人のみが持つものだから。

cf. 二宮正之編『森有正エッセー集成3』(ちくま学芸文庫、1999年)

投稿者 Vapor Trail : January 11, 2004 11:10 PM