January 09, 2004

白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』:その2

 白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』(新潮文庫、1999年)を読了。
 「大人の文章」と題されたわずか3ページの随想で、英文学者の福原麟太郎の文章について述べた一文が、そのままこの本にも当てはまるように思う。

・・・そこに書いてあることは全部忘れて、その余韻だけがいつまでも読者の心に残るというのは、考えてみれば大したことなのだ。これを大したことではないという人は、目前の思想とか文体にとらわれて、文章の醍醐味を知らぬ人といえよう。
 さらりと書かれているが、この文に込められている火薬の量は膨大である。巷に溢れている、片仮名を多用し、さらにはカギカッコや傍点などの強調をこれでもかとばかりに多用する文は、破壊し尽くされるであろう。そういった文章が説得しようとしている意見はほとんどが思いつきなのだから。
 しかし、思想や文体といったものが残る文章というのもまたあるはずであろう。そのような文章を書く思想家は出てくるのだろうか。

投稿者 Vapor Trail : January 9, 2004 10:31 PM