July 08, 2004

 佐藤正英『聖徳太子の仏法』(講談社現代新書、2004年)を読み始める。 
 かの有名な憲法十七条の第一条「一に曰く、和を以ちて貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ」の「和」は、親族共同体や村落共同体における「和」ではないという指摘に、蒙を開かれる。前者は情念を共有する構成員たちが融合する在りようであるが、後者は絶対知を修めようとする官人共同体における「和』であるという。その共同体の誰もが絶対知を修めていないがゆえに謙虚であり、それでいて絶対知からの言わば距離によって各人が位置づけられるがゆえに上下という秩序がある。この秩序を保つことこそ、第一条の主旨だという。
 このような「和」こそ求められるべきなのではないだろうか。そして一般に理解されている情的紐帯としての「和」は無意味とは言わないまでも、それが通用する範囲を縮小すべきではないだろうか。

投稿者 Vapor Trail : July 8, 2004 12:35 AM