February 18, 2004

健康な知性

 健康はそれ自体として望ましい。もちろん、健康であることから、例えば、仕事が出来るとか明るい気分であるとか、様々な益が手に入るであろう。しかし健康はそういった益のために求められるのではない。健康を回復するために服用する薬とは明らかに違う。薬それ自体を貴ぶものはいないが、健康それ自体は明らかに貴い。
 さて、もし知性にも健康ということが比喩的に語られるとしたらどうだろう。健康的な知性、あるいは健全な精神、は明らかにそれ自体として望ましい。ではそれはどのようにして人が獲得することの出来るものなのだろうか。先天的なものと後天的なものとの混合によって得られるのだろうか、ちょうど健康が、生まれつきの健やかさと、早寝早起きや暴飲暴食をしないなどの生き方との双方に由来するように。
 かつて知性の健康、つまり教養を得るためには古典を学ぶことが必須と考えられていた。しかし今は、古典なるものは役に立たないとの理由で殆ど無視されている。ネイティブの人とちょっとしたおしゃべりが出来る方が、シェイクスピアを原典で読んだことがあるというよりも価値が高いと思われている。道具としての知性こそ求められているのだ。
 それが何をもたらすか、社会はまだよくわかっていないと言うべきなのか、それとももうわかっていると言うべきなのか。こんなことをJ. H. ニューマンを読んで考えた。

投稿者 Vapor Trail : February 18, 2004 11:37 PM