October 29, 2003

教養

 ドイツ語では教養は形成というような意味もある語でBildungといい、ある種の生真面目さを感じさせるのに対して、ギリシア語ではpaideiaで、これはpais(子ども)とかpaizo(遊ぶ)という言葉と同根である。子どもにとっては遊ぶことが学ぶことでもある。他方、大人にとっては遊びとは仕事から解放されたときの気晴らしという程度の意味しかないのではないか。しかしはたして遊びとは、つまりは教養とはそれだけのものなのだろうか。
 教養についての議論が数多くなされているようだ。それはそれで結構なことなのだが、ギリシア語の教養という語に感じられる遊びの要素がないようにも思われる。それだけ、教養の必要性が真剣に語られているということなのだろうか。いったい誰が遊びの必要性を主張できるだろうか、この経済不況の、絶叫することが説得することだと思っている人間が首相をしているこの社会で。
 だが、結論として、子どもの世界から学ぶものがありそうだ、ということには断じてならない。それは今の日本の子どもの世界とは大人の世界の鏡でしかないからである。

投稿者 Vapor Trail : October 29, 2003 10:46 PM