December 27, 2003

感情の波と思考

 プラトンの対話篇には戯曲形式のものとある人の報告による叙述形式のものとがある。そして後者には主人公のソクラテス本人が報告するものがいくつかある。主著とも言うべき『国家』、ソフィストたちを描いた『プロタゴラス』、そしてプラトンの親戚が対話相手をつとめる『カルミデス』などがそうだ。
 ソクラテス自身が報告するこれらの対話篇では、ソクラテスの心の動きが僅かではあるが、語られる。トラシュマコスに怒鳴られて驚いたことを述べるソクラテス(『国家』)、プロタゴラスの反論に時間稼ぎをする必要を感じたと語るソクラテス、そして美しきカルミデスの着衣の奥に秘められた肌をかいま見て我を忘れたと打ち明けるソクラテス。
 感情とは動きであり、われわれの思考は常にその波に晒されている。場合によっては翻弄され、正しい判断が不可能になる。だがソクラテスは踏みとどまり、感情の波に溺れることがないよう、自らを立て直す。感情の波に溺れていながら、どうしてもう一つの波、もっともらしいが真実ではない、それゆえにこそ巻き込まれやすい、議論というもう一つの波を泳ぎ切っていくことができようか。それを泳ぎ切ることこそ、われわれの生がいかなるものとなるかを決めているのに。
 心の動きを率直に述べ、その後の議論を語っていくソクラテスの姿を通して、プラトンが語りたかったことは、以上のようなことではあるまいか。ソクラテスの姿が凛としているのはそのゆえであろう。

 このサイトのタイトルNesteonとはギリシア語で「泳がなければならない」という意味である。

投稿者 Vapor Trail : 10:32 PM

December 26, 2003

心から心へ

 かつて読んだ本を急に読みたくなり、書棚を探し、ようやくのことで見つけて、読み始める。と、思いもかけず、共感を覚える言葉に出会う。おそらくそのようなことを経験された方もあるだろう。なぜ急に読みたくなるのか。それはわからない。が、勝手に天使の囁きだと思っている。
 第二ヴァチカン公会議にただ一人の非聖職者として参加した神学者にして、アルチュセールの師でもあった、ジャン・ギトン。彼の書『心から心へ——21世紀を生きる人々に贈る』(新評論、1994年)の中から引用しよう。

疲れは「自分がやるべきことをやっていないという観念から来る」

 もう一つ。
ユーモアと愛との距離はあまりありません。ユーモアとは皮肉の衣をまとった愛だからです。

 cf. ジャン・ギトン(幸田礼雅訳)『心から心へ——21世紀を生きる人々に贈る』(新評論、1994年)、p. 96, p. 98。訳文はともかく、本文中に埋め込まれている注がよくない。本文と紛らわしいし、ところどころに間違えがある。「?」がつけられている注もある。分からないならば、つける必要はない。

投稿者 Vapor Trail : 11:26 AM

December 24, 2003

クリスマス

 イエスが生まれたのは、聖書の記述によればもっと暖かい季節ではなかったか。そういう説があるらしい。いずれにしろ、この時期にクリスマスを制定したのはずっと後のことだ。
 だがこの場合、歴史的事実などはつまらないと言うべきだろう。太陽が弱り切っているこの時期に再び春が来ることを信じて、こんなにも闇が長いこの時期に再び光が輝くことを希望して、ひっそりと誕生する生命を愛する。そう決意した人々がイエスの誕生をこの時期に定めた。
 その智恵と意志とにならって、平和を祈ろう。

投稿者 Vapor Trail : 10:52 PM

December 19, 2003

『ヒルベルトの挑戦』

 ジェレミー・J・グレイ(好田順治・小野木明恵訳)『ヒルベルトの挑戦——世紀を超えた23の問題』(青土社、2003年)を読んでいる。文系人間の私は数学は苦手だったのだが、案外好きであった。言わば、憧れの君みたいなものか、ときどき「会いたくなる」。だからこうして数学の書をひも解くことがある。とはいえ、数学を学ぶような書ではなくて、数学の歴史や数学者の生涯を扱ったものを読むに過ぎない。
 所々に出てくる数式は必ず追うようにする。たとえ分からなくとも、ある程度は考える。だがやはり多くの場合分からない。それでも構わないと思っている。やはり憧れの君である。
 実はこの本である数式を追っていたところ、誤植を発見した。自分の「数学度」がアップしたようで嬉しかった。

投稿者 Vapor Trail : 11:30 PM

December 18, 2003

ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』

 ウンベルト・エーコ(和田忠彦訳)『永遠のファシズム』(岩波書店、1998年)を読了。訳者の解説によれば、エーコが「モラル」について論ずるのは珍しいことらしい。だから、普段のエーコの著作と同じく、軽く楽しむのが求められている、というところもありそうだ。
 だがなかなかどうして、この本は言わば力が入っているように感じられる。もちろん、ところどころでニヤリとさせてくれる。だが真剣である。遊びに満ちた真剣さ、これは極めて良質の議論である。
 「新聞について」と題されたエッセイの最後の文句、「もっと世界をよく見てほしい、鏡を眺めることは控えてほしい」(p. 114)という言葉は、イタリアのマスコミと政界に向けられたものであるが、日本のそれらにも全く当てはまるものであろう。一般紙においてさえ、スポーツ記事が一面に載るような、はなはだしい内向き。これを克服しないで「国際化」を叫ぶのはほとんど漫画である。

投稿者 Vapor Trail : 11:32 PM

December 15, 2003

帰結主義

戦争が「好都合な」結果をもたらしうるものであるならばなおさらである。そうした戦争がもたらす結果こそ、場合によっては、戦争がいまだ理にかなった可能性であると万人を納得させる理由となるからだ。ならば一方で、それを否定することが義務であることも変わりはない。
 上に引いた言葉はウンベルト・エーコの「湾岸戦争」時のものである。引用からも分かるように、エーコは戦争を否定する。戦争は「浪費」であり、「人間の主体的決断をことごとく無に帰するもの」である。  結果よければすべてよし、ではない。

 サダム・フセイン元イラク大統領のアメリカ軍による拘束のニュースを聞いた日に。cf. ウンベルト・エーコ(和田忠彦訳)『永遠のファシズム』(岩波書店、1998年)。

投稿者 Vapor Trail : 10:31 PM

December 13, 2003

理論

 最近(と言っても2、3週間前だが)、書評で見たジョナサン・カラー(荒木映子・富山太佳夫訳)『文学理論』(岩波書店、2003年)を読み始める。「理論とは何か?」と題する第1章では、フーコーとデリダを実例として「理論」について説明している。自然と考えられているものが、実は歴史と文化の産物であることを暴く言説で、多くの分野にとって論ずべき対象の分析に有効な武器となりうるもの、といったところが要点であろうか。そこに自己言及的、という要素が加わる。それゆえそれは自己増殖する。現代思想の書物が氾濫するはずである。
 本書もその一つではあろうが、しかし「理論はマスターなどできるものではない」と言い切るところは、大変正直でよろしい。

投稿者 Vapor Trail : 10:21 PM

December 10, 2003

平和と協調

 平和と協調は同じか。トマス・アクィナスはこのような問いを立て、それらは異なるとしている。すなわち Summa Theologiae, 2-2, q. 29, a. 1 によれば、協調とは複数の主体の欲求が一致することであるのに対して、平和とは

欲求する一人の人にある様々な欲求の一致
を意味するからである。つまり人は他者と協調するだけではなくて、自己自身と協調しなければ平和とは言えない、ということになる。
 この平和の捉え方は、あるいは奇異に思われるだろうか。平和とは現在では戦争のない状態というのが最大公約数的な理解であろうから。しかしながら、トマスの言う平和はより内的である。他者とうまく協調することができたとしても、自己自身と協調することができなければ、平和な人ではない。そして平和な人でなければ平和を作り出すことのできないのは言うまでもなかろう。
 以上の考え方を国に当てはめたらどうなるのだろうか。この国は、国際協調だけは、最近、やたらに口にするのだが。

投稿者 Vapor Trail : 10:16 PM

December 09, 2003

重大さ

 アラン『定義集』(岩波文庫、2003年)からの引用。

重大さ。これは笑いの拒否である。・・・重大さは結局、吟味の拒否に帰する。重大さはあらゆる意味における優雅さを拒否する。重大さは他者にも自分にも重苦しい。・・・重大さはけっして決定しない。けっして自由ではないのだ。重大さは過ちにつき従う。・・・重大さは続いて必ず起きることを強調することができるだけだ。・・・貧弱な政治はすべて、重々しい。
 貧弱な政治はすべて、重々しい。

 自衛隊をイラクに派遣する計画を閣議決定した日、それを説明する首相の記者会見を見て。

投稿者 Vapor Trail : 11:08 PM

December 08, 2003

戦争の原因

国々にとって公私いずれの面でも害悪が生じるときの最大の原因であるところのもの、そのものから戦争は発生するのだ。
この言葉はプラトンがその著『国家』において述べている戦争の原因である。そしてこの「最大の原因」とは
必要なだけの限度をこえて、財貨を無際限に獲得することに夢中になる
ことだと言われている。  では、戦争を避けるためにわれわれは欲望を制限しなければならないのか。おそらくそうなのだろう。だがプラトンは欲望を制限しなければならないのは、国の為政者に限っていることは知っておいてよいだろう(ただし、個人の生き方としては別である。あくまで国のレベルである)。
 あるいは古くさい話だと思われるかもしれない。だが現在の世界をただ一国のみが牛耳っていると言うことができるならば——その国は最も強大な軍事力と経済力を持ち、地球環境などにはいささかも関心を示さず、ただひたすら富の獲得のみを目指している——、このプラトンの言葉は大きな意味を持つものとしてわれわれに迫ってくる。

cf. 『国家』373e、岩波文庫の藤沢訳より引用。

投稿者 Vapor Trail : 11:46 PM

December 01, 2003

小説

小説とは、一作ごとにまず書き手自身が成長するためのものだから、そのためにはいま自分のなかにあるものをすべて注ぎ込む必要がある。
 上の言葉は、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(草思社、2003年)p. 63からの引用である。この言葉にある「小説」の代わりに、人は自分の仕事を表す語を入れることができるだろう。ニュッサのグレゴリオスのエペクタシスに関連するものが、上の言葉にはある。
 この本は、保坂自身が自らの作品において行っていることをふんだんに利用しながら、小説について述べているものである。小説作法マニュアルのような顔をしていながら、実はそんなものではない。著者は現代の日本を覆っている病的なまでの「功利性信仰」を侮蔑している。それこそ小説の存在価値の一つだ、という主張が展開されていることが、この本の存在価値であろう。
投稿者 Vapor Trail : 10:20 PM