November 30, 2003

『恵みの時』

 稲垣良典『恵みの時』を読了。著者はトマス・アクィナスを中心としたスコラ哲学の碩学。「単に観想するよりも観想のみのりを他者に伝えること contemplata aliis tradere の方がより大いなることである」というトマス『神学大全』(IIaIIae, q. 188, a. 6)の言葉に従って書かれたものである。「限りなき飢え」の中の

正義への飢えを、ただ正義の観点からのみ満たそうとすると、私たちは容易に怒りの感情にとりつかれ、ついには憎しみのとりこになってしまう。正義への飢えを、人間にふさわしい仕方で満たすためには、正義を含む全き善への飢えとしての会いに目を向けなければならないのである。

という言葉が、このところの世界情勢を照らし出す、大いなる光のように感じられた。
 ここ数日、眠りに就くまでを静かに満たしてくれる書であった。

cf. 稲垣良典『恵みの時』(創文社、1988年)

投稿者 Vapor Trail : 06:52 PM

November 24, 2003

子ども

 橋の上から下を通りすぎる電車を子どもが見ていた。幼稚園児だろうか。ほほ笑ましい光景、と思いながら通り過ぎようとすると、子どもが石を握りしめていることに気づく。「ダメだよ、そんなことをしちゃ」と思わず叱ると、子どもは驚いた様子であった。そこに母親の声がして、子どもは去っていった。橋を渡る直前に携帯でケタケタ笑いながら話す女性がいたが、どうやらそれが母親だったらしい。
 子どもに悪気があるとは思えない。おそらくは石が落ちたらどうなるだろう、落ちた石が電車に当たったらどうなるだろう、見てみたい、というような気持ちだったのではないか。犯罪だとか、悪いことだとかは認識していないだろう。しかし結果は重大なものになりうる。電車にとって、あるいはその乗客にとって、でもある。だが、より重大なのは、子どもにとってだ。「橋の上から通り過ぎる電車に向けて石を落とす」行為は大人の視点からは明らかに犯罪だから、「とんでもない幼稚園児だ」と判定されるだろう。
 大人がもっと気をつけなければいけない。

投稿者 Vapor Trail : 10:40 PM