『吾輩は猫である』(ちくま文庫判全集第1巻、p. 427)より引用。朝食時、子供たちが騒いでいるのに主人の苦沙弥が何も言わずに、ただひたすら自分の食事を済ませているのを、「働きのない事だ」と言ったあとにこうある。
しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の目玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。・・・これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。実践的生よりも観想的生の方が望ましいというヨーロッパに伝統的な考え方を漱石は知っていたのだろうか。『猫』に描かれる苦沙弥、迷亭や寒月らの会話から伺われる彼の知識からすると知っていたとしても不思議ではない。